ユリさんの10年間の”お茶の間 K-popオタクライフ” ②
だいぶお久しぶりになりましたが、またまた書いてみます。
前回はK-popとの出会いを書きましたので、今回は超雑食期について書いてみます。
「節操なしオタクライフ」
さて、時は遡り2010年。
東方神起分裂事件、JYJ がavexと契約し東京ドーム公演と個人活動を日本で行ったところまで含めて、前回の東方神起騒動と大きく分類したとしましょう。
時代はYG、JYPです。
BIGBANG、2NE1のYG勢
あとは東方神起同様に2009年に伝説カムバックしたWonder Grilsを筆頭に当時新人の2AM、2PMのJYP勢
私が手っ取り早くハマったのが2PM、2AMいわゆるOneDayです。
熱血男児。(リアルタイムでは見てないですが...。)
Mnetの元祖サバイバルオーディション番組。これ色々肉体的にもサバイバルでしたよね。冬の早朝に上裸でランニングとか...。
で、この番組見ると後に気になるのがBEASTですよね。ゆんどじゅん。(平仮名綴り雑←)
ちなみに母はAJ推しでしたので、もっと早く注目してました。流石。
あとはMBLAQ、SJは言わずもがな、SHINee、FT、CN、TEENTOP、INFINITE
(デビュー前のリアルバラエティ見てましたよ‼︎)
と、まあ、デビューするもの全てとりあえず見てみて、どんどん調べまくって雑食の極みでしたが、特にハマったのがOneDayでした。
2AMの抜群の歌唱力と2PMの筋肉‼︎笑
2010年、初のKMFのコンサートに行ったユリさんwith母。
札幌公演は2AM、MBLAQ、大国男児。 2AMが爆裂歌ウマでして。
しかも人生初のハイタッチ会🤚付きコンサート。
チャリティー参加のサイン入りCDゲット的な事もしてます。
売出し中大国男児は指ニギニギ付きだし、高3純情ユリさんには刺激が強すぎて、逆に沼落ちせずでした。
母はここからMBLAQ沼を爆速します。
その後、2PM、2AMをお茶の間しつつ日本デビューのコンサートとか行ったのですが、日本仕様の2PMがあんまりしっくりこず。
Jay Park単独日本公演に行ってみたり、 ちょこちょこ2AMとかHOMMEがKMFに来たりしていたので行ってみたり。
基本的に幅広くお茶の間活動をしていました。
疲れた時はSJで爆笑して元気を出したりしてました。
※この辺で忘れてはいけない、SMバラードでHotTimesです!
謎の歌ウマ練習生ジノ君お芋風味)‼︎
のちに、私が韓国までミュージカル見に行っちゃう位ハマる彼です!
ユリさん実は一浪しているのですが、まさに受験追い込み期にEXOが伝説デビューみたいな感じだったのですが、 オッパと呼べないドルなんて...(正確には5人年上、4人同学年、3人年下)と謎の拒否反応。
当時の私はEXO落ちするなんて微塵も思っていません。
さらに東方神起2人体制始動。
まだまだ、東方神起騒動について私の心の中は整理されておらず、天下のSMでのオタ活は出来そうにありませんでした...。
というか、受験辛すぎて、終われば新生活(in関東)がホームシック過ぎて、HTBに頼り過ぎていました。
水曜どうでしょう ハナタレナックス ドラバラ鈴井の巣 等、ローカル深夜番組で北海道弁と笑いだけが私の寂しさを癒してくれ、
当然この辺りで私のオタクライフ第2幕がヌルっと終わります...。
当然の出会い、突然の別れ、寂しさを埋めてくれた出会い、そして自然消滅...。
まるで昼ドラな(?)ユリさんとK- pop 次回、「友達の紹介とSMとの再会」です。
よくやったね。お疲れ様。
それはあまりにも突然の出来事で、しかし世界にとってはなんてことのない出来事で、私はただそこに立ち尽くす事しかできなかった...。
2017年12月18日月曜日 夜
いつもと変わらない憂鬱な月曜日。
いつもと変わらない退屈な日常。
今日もこうやってで1日が終わっていく、と...そう思っていた。
そう思っていたのに...。
それはあまりに突然の知らせだった。
そんなにも世界はあなたを苦しめ悲しませ、疲弊させたのかも知れない。
それでも、
あなたが存在するただそれだけで、誰かにとって世界は輝いて見えた。
あなたが世界に見た色を切り取った音が、また世界を彩る新しい色だった。
いつも誰かにとって、世界を彩る特別な存在で世界と共にあったのに、
あなたは世界の片隅に独りだったのかも知れない。
そんなにも世界はあなたに苦しませたのに、今日もいつもと変わらず朝が来た。
まるで何事も無かったかのように...。
今日も昇る朝日は美しい。
あなたが孤独の中で見つめた朝焼けも、あなたを独りぼっちにした夜の闇も、
今日も昨日と変わらずここにあり続ける。
明日も変わらずにここにあり続ける。
世界はあまりにも大きくて、
私もあなたも世界にとっては小さな存在に過ぎない。
こんなにも多くの人に大切に思われ、特別な存在のあなたがいなくなったのに、
世界は何事もないように、今日も美しい。
世界にとっては、毎日どこかで誰かが世界に別れを告げるように、
あなたは大勢の中の1人だった。
それが私でもあなたでも、他の誰かでも。
世界はあまりに大きな存在で、私たちはあまりに小さな存在で。
どんなに悲しくとも、私たちの日常はここで毎日続く。
こんなにもあなたがいないことが悲しいのに、一晩中あなたを思ったのに、
お腹は減るし、眠くもなる。
あまりにも普通の日常が続く。
あなたが孤独に戦ったこの世界も、
私にとってはかけがえのない、大切な世界。
あなたの見た色を探して、あなたの色で彩っていく。
あなたの愛したものがあるこの世界が、私にも大切だから。
願わくば、
今は孤独な暗闇から解放されていて。
もう独りきりで戦わずに済んでいて。
あなたの大切な人たちが、あなたの隣に行くには時間が掛かってしまうけど、
今は誰かと心を分かち合える所にいて欲しい。
疲れた時は誰かの腕の中で安らぎを感じられるような所にいて欲しい。
好きなことを純粋に楽しめるような、そんな温かくて優しい所にいて欲しい。
そして、あなたを失ったあなたの大切な人たちの悲しみが、
いつの日か癒える日が来て欲しい。
あなたの愛した人たちがまた笑える日が来るように。
あなたを思って笑える日が来るように。
あなたは十分頑張ったね。
疲れたでしょ。辛かったでしょ。
独りの戦いをよく耐えていたね。
お疲れ様。ゆっくり休んでいいんだよ。
十分よくやったよ。
そばにいてあげられなくて、理解してあげることができなくて、ごめんね。
そんなにも大変だったのに、私たちに幸せを分けてくれてありがとう。
たくさんの愛を与えてくれてありがとう。
たくさんの色を残してくれてありがとう。
あなたのことは忘れません。
Rest in peace, 김종현.
ユリさんの10年間の”お茶の間 K-popオタクライフ” ①
こんにちは。
お茶の間K-popオタク歴9年のユリです。
今回、”お茶の間オタク”のユリさんが10年目にして”アクティブオタク”へ変心を遂げようとしています。そこで、今までのオタクライフを振り返ると共に、”アクティブオタクライフ”を記録してみようかと思います。
THE☆三日坊主なユリさんが今後もアクティブか、そもそもこのブログが続くかもわかりませんが、ちょっくら気分転換なんかも含めてブログを始めてみました。
何か有益な情報が満載かと言うと、そうではないかと思いますが宜しくお願いします。
「K-popとの出会い:東方神起(5人時代)」
それをK-popと呼ぶかと言われると、私は明確に”NO!”なのですが、私のオタクライフの始まりと言うことで大分広い意味での分類になってしまいますが、K-popと呼ばせて頂きましょう。
きっかけはひょんな所にあるものです。
当時高校受験を終え、暇を持て余した15歳のユリさん。
あれはまだ冬と呼ぶにふさわしい北海道の夜をジョギングの帰りに立ち寄ったレンタルビデオ店のCDコーナー。
世の韓流ブームに乗って母と韓国ドラマを見るのが楽しみだった私の目に入った”東方神起”のアルバム。そういえば母がいつか話していた「韓国のアイドル」がそんな名前だったような。母さんにお土産で借りて行こうなんて気を効かせたユリさん。
体調を崩していた母に代わりCDをPCに取り込み、DVDも家で見れるようにしなきゃと...、PCでDVDを再生しそれをビデオで撮影すると言う荒業。笑
(当時中三の私にはアレが限界....。)
しかし、今になって思えば、アレがなければきっとハマらなかった。
”T”というアルバム、当時絶賛プロモーション中の東方神起。初期生産版のDVDにはソロ企画のライブ映像収録でした。そこでユチョン(現在JYJ)との衝撃の出会い、My Girlfriendという全英詞の曲に完敗でした。
中学時代は嵐に夢中でしたが、あれを一目惚れと言うのでしょうか...。
一瞬にして全興味を掻っ攫われました...。
次の週には結局そのアルバムを購入し、コンビニへチケットを買いに走るくらいには、どハマりしました。今思えば、店頭で「東方神起のチケット下さい」ですんなり買えたのは時代が時代か、はたまた北海道あるあるか...。とりあえずFC先行でもなく、一般抽選でもなく、先着の店頭販売で購入したのです。
結局そのコンサートは高校の部活の大会と被り行けず、母と妹のみが参戦。
その後、どんどん好きになり、FCには当然入りましたし、CD、DVD、本国CD等隅々までチェック。ただ高校生ということもあり年に1度のコンサート以外は基本お茶の間オファン。テレビや雑誌、YouTube、ブログが主なオタク活動の場でした。オタ友も当然おらず、東方神起を共通の話題にできるのは母のみ。もちろん母も一緒にコンサートに行きますし、TV番組も並んでチェックしていました。
(主婦な母は、私以上に時間に余裕がありましたので、PC教室に行きつつK-pop界隈を開拓。神話、SJ、SHINee、BIGBANG、SS501、超新星...。私もBIGBANGのサバイバルは一緒に見た気がします。)
そして伝説のカムバック”MIROTIC”です。
韓国の賞総ナメは勿論、日本でも紅白決めたのがこの年です。
この時、まだチャンミンはようやく成人したばかりの年でした。
翌年2009年、”The Secret Code”でようやく初東方神起です。
彼らのテレビへの露出はどんどん増え、好きが募るばかりの日々です。
韓国のバラエティーなんかもネットで見るようになり、色々な面を知ってやはり毎日思いは募る日々でした。
当時私だけだはなく世の中はガラケーの時代でしたから、情報や画像収集は主にPCです。データの問題や画質の関係で...。オタク活動も気楽ではなかったのです。
この年も紅白が決まり、ワクワクしていたのはほんの束の間と当時の私は知る由もありません。
不穏な空気が流れ、例の出来事が明るみになるまでそう時間はかかりませんでした。
私は未だにあの出来事を乗り越えられてはいないのだと思います。
”理解していること、現実を受け入れていること” と、”純粋に彼らを好きだという気持ち、昔を懐かしいと思うこと、思い出に浸ること” をうまく感情として消化出来ていません。2人を見れば3人を、3人を見れば2人を...、どうしても思い浮かべずにはいられないみたいです。と、言葉にできるようになるまで大分時間もかかりました。これについてはまた今度、機会があれば書いてみようかと思います。
あっけなくも、2010年の活動休止をもって私と東方神起との3年間が幕を閉じました。
With All My Heartを聞いて涙した日々は少なくはないです。
今も手元には金色のBigeastの会員証5つ星があります。
それと同時に、ユリさんのの「ヤケクソ雑食節操なしオタクライフ」も始まるのです...。
東方神起を失った私の心を埋めてくれた世代のK-popについてはまた次回。
出会いは突然に、別れもまた突然に...。
若かった私は大人の世界を知らなかったし、幸せな時間は永遠に続くだなんて思えるくらいには世界の綺麗な部分しか見えていないくらい子供だったんだと思います。